
今日は、僕が商品設計をしていく中で、「希少性」というものを大きく勘違いしていたという話をしたいと思います。
これは今振り返ると、僕自身が完全に「職人脳」になっていたことが原因だったと思っています。
商品を設計するとき、僕は大きく3つのことを意識してきました。
それが、
市場性、希少性、再現性。
市場性というのは、そもそもお客様が求めているものなのか。
再現性というのは、一部の人だけではなく、一定のプロセスとして提供できるものなのか。
そして希少性。
他との違いは何なのか。
この3つを考えながら、自分たちの商品やサービスを作ってきたんです。
でも、この中で僕は特に、
「希少性」を大きく勘違いしていました。
以前の僕は、
珍しい技術を学んできた。
他ではあまり使われていない設備を導入した。
新しい分析機器を取り入れた。
専門的な資格を取得した。
そういうものが「希少性」だと思っていたんです。
確かに、これらも他店との差別化要素にはなると思います。
でも今考えると、それはあくまで、
「提供する側から見た希少性」
だったんですよね。
お客様にとっての希少性とは、必ずしもそこではなかった。
当時の僕は、それが全然分かっていませんでした。
なぜ分からなかったのか。
今なら分かります。
完全に職人脳になっていたからです。
整体師としてもっと技術を高めたい。
もっと専門的な知識を身につけたい。
もっと精度の高い設備を入れたい。
もっと細かく身体を分析できるようになりたい。
もちろん、これ自体が悪いわけではありません。
むしろ技術者としては、絶対に必要なことだと思っています。
ただ、問題だったのは、
「自分たちが何を持っているか」と「お客様が何に価値を感じるか」を同じものとして考えてしまっていたことです。
ここを僕は勘違いしていました。
これをすごく分かりやすく例えるなら、
観覧車です。
例えば、あるテーマパークが、
「当パークには、日本一高い観覧車があります」
「地上○○メートルの高さです」
ということを一生懸命PRしていたとします。
でも、それだけではお客様に十分な魅力が伝わらなかった。
これって、考えてみれば当然なんですよね。
もちろん、
「日本一高い観覧車に乗ってみたい」
という人もいると思います。
でも、そもそも僕たちは、
観覧車そのものに何を求めているのでしょうか。
例えば、
大切なパートナーと旅行に行った。
夕方になって、二人で観覧車に乗った。
ゆっくり上まで上がっていく。
窓から街の夜景が見えてくる。
そこで二人で写真を撮った。
何年か経ってその写真を見返したときに、
「あの旅行、楽しかったよね」
と話ができる。
もしかすると、その人にとっての観覧車の価値って、
「地上何メートルまで上がれるか」ではないのかもしれない。
かけがえのない人との時間や、旅の思い出を、より特別なものにしてくれる。
そこに本当の体験価値があるのではないかと思うんです。
つまり、
観覧車の高さはスペックです。
でも、
その観覧車に乗ったことで生まれる思い出は体験価値です。
この違いに気づいたとき、
僕は自分の整体院の商品設計について、かなり考えさせられました。
なぜなら、それまで僕がやっていたことって、
観覧車でいう、
「地上○○メートルです」
という話と、ほとんど同じだったからです。
「こんな技術を勉強しました」
「こんな資格を持っています」
「こんな設備を導入しました」
「こんな分析機器があります」
「こんな細かいところまで調べられます」
これって全部、提供する側から見たスペックなんですよね。
もちろん、そのスペックを高める努力は必要です。
僕もこれからずっと続けます。
でも、
お客様は設備を体験するために整体院へ来るわけではない。
僕の技術力を確認するために来るわけでもない。
お客様には、お客様自身の人生があります。
例えば、
「姿勢を気にせず好きな洋服を着たい」
「写真を撮られるときに、猫背を気にしたくない」
「年齢を重ねてもきれいな姿勢で歩きたい」
「何をやっても変わらなかった身体について、一度きちんと理解したい」
「自分の身体に合った方法を知りたい」
そういう、
その人自身が手に入れたい未来がある。
だったら、僕たちが考えなければいけない商品価値というのは、
「どんな技術を持っているか」
だけではなく、
「その技術を通して、お客様にどんな体験をしてもらえるのか」
なんですよね。
ここに気づいたことは、僕の商品設計に対する考え方を大きく変えました。
そして、このミスから僕が学んだことがあります。
それは、
「希少性は、自分たちが珍しいものを持っていることではなく、お客様が“ここでしか得られない体験”を感じられること」
なんじゃないか、ということです。
例えば姿勢分析でも同じです。
「最新の分析機器があります」
だけだったら、これは設備の話です。
でも、その分析を受けたお客様が、
「自分の身体って、こうなっていたんだ」
と初めて理解できた。
今まで何となく反り腰だと思っていたけれど、
「自分の場合は、こういう身体の使い方をしていたんだ」
と腑に落ちた。
さらに、
「だから今まで、この運動を続けても変わらなかったのか」
と過去の経験までつながった。
そして最後に、
「じゃあ私は、これから何をすればいいんだろう?」
というところまで整理できた。
僕は、こっちのほうが圧倒的に重要だと思うんです。
分析機器そのものが価値なのではない。
分析を通して、自分でも知らなかった自分の身体を知る。
そして、
これまで点だった情報が一本の線につながって、「これから何をすればいいのか」が見えてくる。
その体験を作るために分析機器がある。
技術も同じです。
資格も同じです。
設備も同じです。
全部、
お客様の体験価値を高めるための手段なんです。
ここを逆にしてはいけない。
以前の僕は、
「いい技術を身につければ、いい商品になる」
と思っていました。
でも今は、
いい技術を持っていることと、いい商品を作れることは別の能力だ
と思っています。
技術を磨くのは職人としての仕事。
でも、
その技術を使って、
「お客様にどんな時間を過ごしてもらうのか」
「どんな発見をしてもらうのか」
「どんな感情になって帰ってもらうのか」
「その経験が、その人の未来にどうつながっていくのか」
そこまで設計するのが、
商品設計なんだと思います。
だから市場性、希少性、再現性を考えるときも、
自分たちを主語にしてはいけない。
「自分たちは珍しい技術を持っている」
ではなく、
「お客様にとって、このサービスの何が特別なのか」
を考える。
観覧車でいえば、
「地上○○メートルです」
ではなく、
「この観覧車に乗ったことで、あなたの旅にどんな思い出が残るのか」
を考える。
整体院でいえば、
「こんな技術があります」
「こんな設備があります」
ではなく、
「ここに来たことで、自分の身体に対する見方がどう変わるのか」
を考える。
これが、職人脳になっていた僕には見えていませんでした。
そして今、僕が思う本当の希少性は、
珍しいものを持っていることではありません。
珍しい技術を知っていることでもありません。
「他ではなかなか得られない体験を、お客様に届けられること」
です。
だから僕はこれからも技術を勉強します。
設備についても研究します。
分析の精度も高めていきます。
でも、それを自慢するためではありません。
すべては、
お客様の体験価値を高めるため。
「こんな設備がある整体院だった」
ではなく、
「ここに来て、初めて自分の身体のことが分かった」
「何をすればいいのかが初めて腑に落ちた」
「自分の身体と向き合うきっかけになった」
そういう記憶が残る場所を作る。
それこそが、僕が今考えている商品設計です。
そして僕自身、この失敗から学んだ一番大きなことは、
商品を作るときに見るべきなのは、自分たちの商品ではなく、その商品を体験するお客様だということ。
技術者として、
「何ができるか」を追求する。
経営者として、
「その技術によって、どんな体験を生み出せるか」を追求する。
この両方が必要なんだと思います。
スペックではなく、体験を設計する。
これが、僕が「希少性」を勘違いした経験から学んだ、商品設計で今一番大切にしている考え方です。





